紺夜-KOOYA- × 巧流-call- 第一部『春夢共鏡』にて衣装コラボレーション決定

『1分で簡単に着れ、着崩れない着物』の意匠権を先日取得した若き和裁士・元山兄弟による着物ブランド『巧流-call-』による第一部『春夢共鏡』への衣装提供が決定。その後に続く紺夜の海外公演でのワークショップでの協力関係を視野に、紺夜メンバーと同世代の和裁士が提案する新しい着物文化を共に発信していきます。紺夜はパフォーマンスや公演を通し、若い文化継承者による新しい提案を共に普及していくことを目指しております。

1分で着れて着崩れない。洋服感覚で着れるイマドキ男性着物のススメ
https://intojapanwaraku.com/culture/24510/

元山兄弟による 巧流-call- 紹介

(公式HP http://call-kimono.com/motoyama.html より抜粋)

我々の祖父、元山金良は着物縫製会社兼和裁士訓練校である和裁学院を設立しました。その学院も九州に4校設立するほど拡大し、祖父は、全国和裁着装団体連合会13代会長に就任し、和裁の進歩に精力を注ぎました。

我々の父、元山巧は中学卒業後東京へ和裁の修行に上京し、1級和裁技能士取得後、和裁学院を継ぎました。ですが年々着物を着る人が減少し、下請けである和裁士の報酬は減少し続け、その結果経営は困難になり全和裁学院を閉校しました。現在は縫製会社を新たに設立し、国家検定の審査員をしながら、手縫いのみの伝統的な技法のみで着物を縫っております。

それから1年間、着物を、和裁の新しい文化を創り継承するにはどうしたらよいか思考を重ね、様々な方にアドバイス頂きながら起業準備を進めました。着物のネガティブなイメージと正面から向き合い、着物の進化について毎日のようにとことん話し、着物に限らず様々な物を見て、学び、インスピレーションを受け、巧流-call-が目指す着物を突き詰め続けました。

そして我々は一つの道に辿り着きました。先人たちが培ってきた知恵と技術を活かし、現代の感性とトレンドを織り交ぜ、創造する着物がまさに日本にとっての新しい文化となると我々は確信しました。着物には物を大切にする想いと、それを可能とさせてくれる持続可能性があります。

それは今世界中で必要とされています。こんなに環境に優しく、人の心に優しい衣装はないでしょう。今こそ着物は進化を遂げる時です。その着物の進化の流れを、我々巧流が担っていくため元山兄弟は走り続けます。

弟(写真左)元山 誠也
弟、元山誠也は高校卒業後長年の夢であった美容師になる為上京し、専門学校卒業後、美容室激戦区である表参道のサロンへ就職しました。そこで2年間下積みを積んだのち、更なるレベルアップと挑戦の為、銀座にあるLondという日本で最も勢いのあるサロンへと転職しました。ちょうどその頃兄が和裁を辞めたと知り、和裁の家系の息子としてこのままでいいのかと和裁について深く考えるようになりました。和裁業界を牽引してきた元山家が和裁から手を引く。。そんなことがあっては日本の和裁は、着物はどうなっていってしまうのか。そう思った時、大きな使命を感じました。元山家に生まれた者として、この右肩下がりの業界に光を与える存在にならないといけないと。その使命を兄に伝え、説得し続けること3年。その頃に兄はカーディーラーで九州1位となり、結果を残したことを境に覚悟を決め、上京してくることになりました。

兄(写真右)元山 巧大
兄、元山巧大は高校卒業後香川にある和裁研究所へ和裁の修行に出ました。2級和裁技能士取得後、父の会社を継ぐ為に父の元へ帰ってきました。しかし兄が帰って間も無く和裁学院は閉校しました。その後父はすぐに和裁の会社を立ち上げましたが、着物業界に明るい未来は無いと考え、父の代でその会社は終わる事となり巧大は業界を退きました。そしてカーディーラーの営業マンとして働き始めました。その頃巧大が和裁を辞めたと知った弟から、兄貴が和裁を辞めたら日本の和裁は、着物はどうなっていくのか。。このまま終わってしまう。。和裁の家系に生まれた者としてそんな日本になってしまっていいのかと説得を受け続け3年が経ち、営業マンとして九州一位の実績を残しそれを機に覚悟を決め上京してくる事になりました。

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